tekiehei2317's blog

1万年前の農業革命と現在の僕

投稿日: 2023-08-08

7月に仕事を退職して、特に目標もなく日々を過ごしています。転職先を探すという選択肢もあったと思いますが、働くということに対してなんとなくモヤモヤ感があって、とりあえず仕事はせずに暮らしていました。

色々さまよう中でサピエンス全史という本を読んだのですが、内容の面白さは評判以上で、著者の圧倒的な知識量や鋭い考察に驚きワクワクする本でした。特に面白かったのは農業革命の部分で、私のモヤモヤを晴らしてくれることも書かれていたので、個人的なことも交えながら整理してみようと思います。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

農業革命とは

農業革命とは、約一万年前に起きた、狩猟・採集から農業への移行と、それに伴う定住化のことです。

農業は今の私たちにとって欠かせない存在です(おかげでお米や野菜を食べられています、感謝)。その点を見ると農業革命は人類にとって良い変化だったと言えそうですが、サピエンス全史には次のように書かれています。

人類は農業革命によって、手に入る食料の総量を確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。

それでは、いったいぜんたい小麦は、その栄養不良の中国人少女を含めた農耕民に何を提供したのか?実は、個々の人々には何も提供しなかった。(太字は筆者)

実は、農業革命は個々の人々には何のメリットをもたらすことはなく、狩猟採集の時代の方が幸福だったといえる状態だったのです。具体的には、次のような事情がありました。

  • 食べ物が農作物に依存してしまったため、色々な種に頼っていた狩猟採集の時代と比べて栄養状態が悪くなった
  • 農作物は天候や害虫の影響を大きく受けるため、生活が不安定になった
  • 定住によって疫病が流行しやすくなり、死亡率が上がった
  • 農作物はたくさんの世話が必要なため、苦労して長い時間働かなくてはならなかった

農業革命は何をもたらしたのか、なぜ受け入れられたのか

そのようなデメリットがあったのに、なぜ農業は受け入れられ広まったのでしょうか?

広い目で見たときの理由は、農業によって人口が増加したからです。生物の種としての成功は、その数をどれだけ増やせたかによって決まります。農業が発達したコミュニティとそうでないコミュニティが争ったとき、生き残る可能性が高いのは人口が多いコミュニティです。このように、農業は人類の生存に有利に働きました。

個々の人々にとっての理由は、そもそも起きている変化を認識することができなかったからです。昔がどうなっていたのかを知る人はおらず、目の前のことを改善することしかできませんでした。

各世代は前の世代と同じように暮らし、物事のやり方に小さな改良を加える程度だった。皮肉にも一連の「改良」は、どれも生活を楽にするためだったはずなのに、これらの農耕民の負担を増やすばかりだった。

農業革命から分かること

農業革命は、「社会は人類全体やコミュニティの生存に有利なように変化するが、それが個々の人々にとって幸福をもたらすとは限らない」ということを示唆しています。

近現代で言えば、戦争に勝つために科学が発展したり、企業が生き残るためにテクノロジーが発展していることがあります。

私たち個人にとっては、水や食料がすぐ手に入れらるようになったり、安全に暮らせるようになりました。そのおかげで、目先の命の心配ではなく、未来のことを考えられるようになりました。しかし、その余裕の影響で未来に対する不安が増しているような気もします。

また、本文中の次の言葉も印象に残ります。

歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。

私たちは洗濯機・掃除機・パソコン・電子メールなどの、時間を節約してゆとりをもたらしてくれる道具を発明しました。それにも関わらず、毎日無数のメールやメッセージを受け取り、迅速に反応することを期待されて落ち着くことができなくなってしまっています。

現代にも当てはまるのかもしれない

今の私たちも農業革命と同じ状況になっていないか、そんなことが気になりました。つまり、目の前ことを改善しようとしていても、それが逆に負担を増やすことにつながってしまっているのではないかということです。

1つ思い当たるのは、生産至上主義的な考え方です。会社の目的が利益を生み出すことにある以上、より短い時間で多くのものを作ること・届けることがいいことだという考えるのは自然です。

この考え方も、元をたどると種の生存という自然の力の影響を受けているのだと思います。会社やお金という考え方が広まったのも、それによって見ず知らずの人が協力できることが、人類という種にとって合理的だったからです。

個人として何ができるのか、私はどうしたいか

それを踏まえた上で、私は何ができるのか、どうしたいのかを考えてみました。思い浮かんだのは、社会の流れに(部分的に)従わなくてもいいということです。これについては次の本も参考になりました(生産性を高くすることが幸福につながるのかどうかが気になって、調べていました)。

個人的には、楽しむことや満足することを忘れないようにしたいと思います。また、私の興味が新しいモノを生み出すことよりは、社会の変化によって生じた歪みや課題を解決する、困っている人を助けるという方向に向きやすいのかもしれないと思いました。